「 文化の神様「弁天」
1998年8 月20日
オカザキラブ アドヴァイザー・稲垣三郎
● はじめに
弁天さまといえば、七福神中ただ一人の女神で、たおやかな腕に琵琶を抱いた美人の代表として知られています。芸能と蓄財の神様です。
ところが、佐久島の弁天(弁天堂の)様は八本の腕に剣や弓矢、鉄の輪などを持って、お顔こそやさしげながら、かなり怖い尊容です。
これは奈良時代の初め、諸国に国分寺を造ったときの古いお経(金光明最勝王経)にかかれた姿なのです。このお経では四天王と弁天様を尊べ、
と説いています。四天王は武神です。その武力で国を守ろうとしました。一方弁天(弁才天)は音楽、弁舌などを司っていて、武に対して
「文」の神様といえます。つまり文化担当でした。
その後、平安時代に弘法大師らが伝えたお経では弁天様は二本の腕で楽器(琵琶)を抱えるような姿でした。七福神の弁天様はこちらの系統です。
弁天様は長い時間の中で、農業や漁業者、船乗りなどの守り神にもなっていつの間にか財産の神様になってしまいました。
それで「弁財天」とかかれるようになりました。
弁天様は全国にたくさん祀(まつ)られていて、弁天島のような小島に社がある例が多いのですが、
「弁天島」上にあるのは全国で10カ所ということで佐久島の弁天はその数少ない一つといえます。
弁天信仰は海上交通の発達にともなって各地に広がった面があると考えられます。佐久島は奈良時代から名前が知られ、古い歴史を持っていますが、
江戸時代、千石船(弁才船)による海運が大変に盛んになり、上方と江戸の中間にあって大風のときには避難港としても都合のよいこの島は
重要な存在だったと思われます。そんな島と弁天様の関係は大変興味深いものがあります。
文化の神様の名前をとった「弁天海港プロジェクト」が文化を核に島を活性化しようとしています。1300年の時を越えて
弁天様本来の役割が現代に再び登場してきたことは奇遇でもあり、ご加護が得られそうな気がします。
レクチャーでは日本の中で弁天様がどんな人々にどんな風に信仰されてきたかを中心に、時間とともにどんな風に変わってきたか、
千石船海運とはどんな関係があったかなど弁天様の横顔を少し斜めから見てみたいと思います。
● 弁天の始まり
「弁財天」または「弁才天」と書かれる弁天は、もともとインドの
ヒンズー教の神様で、サラスヴァティーという川の神様でした。川のせせらぎのイメージから音楽や弁舌を司る神様とされていました。
やがて仏教に取り入れられてシルクロードを通って中国に入りました。8世紀の初めごろ、中国では妙音天、弁才天(才能の神様)と
呼ばれていました。
日本には8世紀前半、仏教の経典と一緒に入りました。奈良時代前期、聖武天皇が全国に国分寺を設置して「金光明最勝王経」を読
むことを命じましたが、その経の中には四天王と弁才天を特に厚く崇拝するべきだという章があります。四天王は仏教を守る武神で、
一方弁才天は智恵、才能さらに芸術の神様です。奈良の朝廷は、四天王の武力と弁才天の智力(いわば文化力)を中軸にした仏教で国
を治め守ろうとしたと言えます。
そのお経に描かれた弁才天は8本の腕に武具などを持った形で、佐久島の弁天様と近い姿です。たおやかな両腕に琵琶(びわ)を抱
えた、七福神でおなじみの美人の代表とされる弁才(財)天はもう少し後の平安時代(9世紀)に弘法大師がもたらした仏教(密教)
に描かれた姿です。
● 弁才天のそれから
福岡県の玄界灘に面した海辺に宗像大社があります。その祭神の1柱、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)は航海の神様として
古来船乗りの信仰が厚い神社ですが、この奥宮がある沖ノ島は3-4世紀以来、朝鮮半島との交通の要所として歴史上大変重要な島で
「海の正倉院」とも呼ばれています。
ところで奈良時代、日本にやって来た弁才天はしばらくの間、消息がよく分かりません。この時代ではやはり女神の吉祥天の方が福
神として信仰を集めたようです。弁才天が各地で祀られるようになるのは鎌倉時代に近くなってからです。日本の神様である市杵島姫
命と習合(神格が交ざり合う)して海、航海の(そして技芸の?)神様として出現します。
琵琶湖・竹生島(宝厳寺)や広島・宮島(厳島神社)などが古い弁才天として知られています。厳島(いつくしま)は日宋貿易など海
外交易を志向した平清盛が大変肩入れをしました。そのほか奈良・天川や神奈川・江の島の弁財天も古いものです。
室町時代には信仰が各地に随分広がったようです。七福神の第一(江戸七福神の第一は上野不忍池の弁天)、「弁財天」として福神
の性格がはっきりするのは江戸時代になってからで吉祥天との習合といわれますが、室町から桃山にかけての市民経済の発展や海上交
通の発達も大きく影響していると考えられます。
● 福の蛇-宇賀神
弁天堂の隣り、宇賀神祠のご神体は顔が老人で体が蛇です。弁天様の冠の上にも小さな蛇がとぐろを巻いています。蛇は弁天様のお
使い、また宇賀(迦)神は弁才天の変身した姿として特に関西などで崇められます。
しかし宇賀神がなぜ、弁才天にごく近いのか、なぜ蛇体なのかはよく分かりません。弁才天は智の神ですが、広い意味の智には人々
の生業、つまり農業や漁業も含まれます。日本の神話では「ウケモチ(保食)」の神は豊饒の神であり、その言葉の変化とも言われま
す。
一方蛇はエジプトからインド、アジアでもさまざまに敬われています。とくにアジアでは竜とともに水の神、農業の神とされていま
す。このあたりが一緒になって宇賀(迦)神になったのでは、といわれます。竹生島にも江の島にも竜神伝説があり、弁才天がそれを
鎮めたとされています。
● 弁才天と弁才船(べざいせん)
江戸時代の大部分は鎖国令により外洋へ乗り出すことはありませんでしたが、沿岸航路による内航海運は発達して世界一の航路網を
形成しました。それを支えたのが千石船で知られる弁才船です。ベザイ船はもともと瀬戸内海で使われていた船でしたが、スピードと
安定性で全国的になりました。しかし、ベザイ=弁才の関係はよく分かりません。縁起のよい字を当てたのではないか、と和船研究の
権威は言っています。
丈夫な帆の開発と船内に設置されたロクロの利用で、千石船(約150トン積み)でも10数人の小人数で動かせ、江戸時代後期(
19世紀)には大阪-江戸間を半月もかからずに航行するなど大きな力を発揮、世界トップクラスの江戸時代経済を支えました。
佐久島には今でも10数本の船繋ぎ杭の名残があり、かつて何人もの船主もいたということです。島出身の船頭重吉や知多半島の音
吉の長い漂流生活や外国文化との出合いは近代前夜の重要な歴史の一こまでした。上方-江戸の中間に位置する佐久島は海の文化の真
っ只中で歴史を作ってきたと言えます。
この地に航海の神、文化の神、弁才天が祀られていることは大変興味深いことです。「21世紀は文化の時代」と言います。文化に
よる島の活性化にきっと弁才天が大きな加護をくださることと思います。